前回の記事では、
「どれだけテクノロジーが発展しても先生的存在は必要だよー。」
という内容を書きました。

本記事は、先生が必要になる理由をもう一つ付け加えます。
「先生」が必要になる理由
多くの子どもたちの反応を見れば痛いほど実感しますが、勉強って人気ないですよね。
その理由は、様々ありまして、この記事では深掘りしませんが、筆頭として挙げられる理由は「やらされている感」でしょう。
「内発的動機づけ」で行動できる環境に身を置いている人間が幸福感MAXになることは、もはや幅広く知られている事実。
やはり、勉強も「自分がやりたいからやっている!!」という状態で臨めるのが良いのでしょう。

しかし、「じゃあ、サポートするから自分のやりたいようにやってみなさいな。」と託したところで、路頭に迷う子が続出するでしょう。
要するに、「子どもの興味・関心に沿って自立的な学習者を目指すのは大切だけれど、全てを子どもに任せて放っておけば良いってもんでもない」ということ。
だからこそ、「先生的役割の人には何ができるのよ?」というところは明確にしたいのですが、まず大切なのは、
「学習するために必要な知識を与える」
ということは欠かせません。
「知識詰込み教育」と聞くと、ネガティブなイメージを持つ方も多いでしょう。
実際に、現在の学校でも、「先生が黒板の前に立って教える一斉授業」から「子ども一人一人が自分の目標をもって進めていく学習」にシフトしつつあります。
もちろん、後者の学習の方が、自立した学習者としてふさわしいのは分かります。
ただ、学習における基本的な知識を全く与えられていない状態で自立した学習を求めるのは大変危険。
ルールも教えられていないのに、「とりあえず試合に出て見なよ!!」と言われたらさすがに戸惑いますよね。
学習も同じで、子どもの好奇心は、「既に知っていることや経験したことがあること」に対して働くのです。
だからこそ、新しい学習を始める際には、先生的役割の人が、子どもたちの知識や経験を上手く引き出し、「なんだかこの勉強は楽しそうだぞ!!」とか「この勉強なら活躍できそうだ!!」というモチベーションを喚起することが必要不可欠なのです。
そして、モチベーションと共に提供すべきものが「知識」なのです。
アメリカ教育省が2700人の子どもたち就学前から10年間という長期期間追跡した研究では、
「子どもの将来の学業成績を予測する最も信頼性の高い指標は、語彙力を含む一般的知識である」
ことが分かっています。
要するに、「新しい知識を提供されたとき、それに関する知識を持っていた方が長期記憶に定着しやすい」ということ。
例えば、「新しく出会った人の名前を覚える」なんて状況を考えてみてください。
きっと、
・誕生日月が同じ
・やっていたスポーツが同じ
・「推し」が同じ
みたいな「共通点」がある人のほうが強く記憶に残るでしょう。
これは、「共通点」という”ひっかかり”によって記憶定着が促された結果。
学習に対しても、「知っている」「やったことある」「行ったことある」みたいな経験に対して、新しい知識が提供された時、学習が深まるのです。
だからこそ、子どもたちは、幅広く知識を獲得しておく方が吉。
日常で頻繁に使わなかったとしても、先生的存在の投げかけにより、新しい知識が提供された時、知識のネットが広い方が、その新情報をキャッチする可能性が高まるのです。
このように、新しい情報は、子どもたちの知識のネットにひっかかるよう提供することが大切になることを前提として考えると、目の前の子どもたちの知識量や幅を知っている存在が必要不可欠になりますよね。
同じ知識でも、
・どのような切り口で提供するか?
・どれくらいの量が適切なのか?
・どのような説明が分かりやすいのか?
という工夫ができる存在は、学習にとって必須。
それが、先生なのです。
「自主学習」の注意ポイント
最近「自由進度型学習」なんて方法が流行りだしました。
先生は、あくまでも学習のサポートに徹し、子どもたちが見通しをもって自分のペースでゴールにたどり着けるよう学習を進めていくスタイルです。
ぱっと見、楽しそうにやっているように見える反面、まだまだ課題も見られます。
課題として確実に検討しておくべきは、「知識格差問題」。
先ほどから散々書いてきましたが、学習というのは、基本的な知識を頼りにして新しい情報をくっつけていく行為。
だからこそ、そもそも知識が不足している子どもは、スタートさえ切れない事態になります。
もちろん、「だからこそ先生がいるんじゃーん。」という結論になるのですが困ったことに、
「背景知識が少なく、学習に困難を感じている子どもほど、自由に進められる学習を好む」
という結果が、アメリカで行われた研究によって分かっているのです。
もちろん、
「学習に困難を感じている子どもほど、先生の誘導的な指示がないと学習の習得度合いが著しく低下する」
とか。
要するに、
反対に
ということ。
んー。どうにも需要と供給が合っていないみたいですね。
知識の「マタイ効果」
新約聖書マタイによる福音書、
「持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は、持っているものまで取り上げられる」
というのが「マタイ効果」。
このマタイ効果は、どうやら「知識」においても適用されるみたい。
例えば、「読書好き」と「読書嫌い」という違いをもった子どもを考えてみてください。
「本」というのは、国語で必ずや通る道ですから。
単純に考えてみても、読書好きの子どもは、本を読んでこなかった子どもよりも、本から知識を吸収することに長けているでしょう。
そんな些細な違いは、学習において大きな差を生み出します。
自ら本を読み、
・知識を吸収する
・文章を読み解く
・想像力を働かせる
このようなスキルを高めてきた子どもは、新しい知識ネットが広いだけではなく、情報を処理する能力にも長けていることが考えられます。
要するに、新しい情報にさらされて感じるストレスを上手く解消して好奇心に変えることができる。
一方、普段から情報処理という認知的負荷に慣れていない子どもは、提供された知識を処理する過程でストレスを感じ、回避行動を取ってしまうかもしれません。
そのような行動の違いが積み重なっていくことにより、知識豊富な子どもはさらなる知識を身に付け、知識回避傾向にある子どもは、新しい知識を回避し続けてしまう。
先に待っている二人の子どもの未来は、全く違ったものとなるでしょう。
📘参考図書
#子どもは40000回質問する
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